電着塗装を構成している原理の中でも、電気泳動と呼ばれる原理の歴史は古く、1809年にロシアの物理学者フェルディナンド・フリードリヒ・ロイス(Reuss)によって発見されています。
電気泳動とは、荷電粒子あるいは分子が電場(電界)中を移動する現象のことです。
その後150年以上の長きにわたって、この原理を利用した塗装技術の開発が各社で行われていましたが、塗料の水溶化技術がうまく行えず実用化にはなかなか至りませんでした。
しかしアメリカのフォード社は、1960年初め頃より精力的な研究開発を行い、月産60万個のホイールラインでの実績を重ねた後、1963年、フォード社のウィクソン工場において、リンカーン、サンダーバードの下塗りとしてアニオン電着塗装を世界で初めて自動車ボディーに実用化しました。
この成功は世界中で大きな話題となり、その後、電着塗装は急速に発展を遂げました。
日本においては、1964年(昭和39年)に当時の東洋工業(現マツダ※2016年01月27日時点)でアニオン電着塗装が採用されたのをスタートとして、1970年には日本自動車メーカーにおいては、ボディーの生産ラインのほぼ100%でアニオン電着塗装が採用されました。
電着塗装は、自動車に限らず、電気製品、建材、スチール家具などのプライマーとして広く採用され、現在に至っています。
電着塗装は自動車のような複雑な構造物の塗装方法として最も適しているため、電着塗装の進化は自動車塗装の変化とともに進化してきたと言っても過言ではありません。
その一例として、日本でカチオン電着が採用されていった経緯についてご紹介しましょう。
戦後発達してきた日本の自動車産業は1973年頃から、北米、欧州へ本格的な輸出を開始しました。
その際、輸送時にぶつかるなどして発生する塗膜のキズから、貨物船中の高温多湿条件下で「かさぶた状錆(サビ)」(別名ジャパニーズラストと呼ばれました)というものが発生し、陸揚げ時にクレームとなりました。
このクレームの解決ため、自動車メーカー、鋼板メーカー、塗料メーカーが共同で膨大な検討を行いました。
その結果、
1976年08月 | リン酸亜鉛処理のフルディップ化
⇒皮膜を緻密に付けられるため(付着が多く、結晶粒も小さいことによる) |
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1977年11月 | カチオン電着の導入 ⇒アニオン電着に比べ、架橋密度が大きく、酸素分子を透過しにくいため |
1978年頃 | 両面亜鉛めっき鋼板の採用 ⇒酸化物(錆)が安定しているため |
という流れで対策を行い、ジャパニーズラストの問題は解決しました。
以上のような流れで対策が行われたこともあり、1977年以降、自動車ボディーおよび自動車部品の電着塗装はカチオン電着塗装に切り替えられ、現在では、そのほとんどがカチオン電着塗装となりました。
一方のアニオン電着塗装もアルミニウム材の分野に用いられるなど、必要に合わせた技術の活用がなされています。